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責任をもって施工する専門家の集団です。
木下建設の歴史
明治22年~大正15年
明治22年10月 |
創業者木下陽康(幼名源一)飯田駄科の農家に生まれる
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大正 2年 7月 |
陽康、飯田市仲の町で「木下組」を創業 |
4年 1月 |
飯田土木実業組合設立 |
8年 2月 |
伊那電鉄の工事を大丸組が落札。陽康その傘下に入り、阿智川発電所をはじめ大型工事の現場監督を務める |
10年 1月 |
大丸組の傘下に入り、阿智川発電所工事を担当する |
10年 8月 |
陽康、伊那電山吹-下平間の開設工事を担当する |
11年 5月 |
長野県請負同業組合発足、陽康副組合長就任 |
12年 5月 |
めがね橋架設工事着工 |
12年 秋 |
大丸組、店主急逝により解散 |
12年 9月 |
関東大震災 |
13年 2月 |
谷川線埋立工事着工、飯田に初めてミキサーが入る |
13年 7月 |
下伊那土木建築請負人組合発足、陽康常任理事就任 |
15年 1月 |
長野県請負同業組合伊那支部発足 |
昭和元年~昭和20年
昭和 2年 3月 |
伊那電鉄 ― 飯田 ~ 天竜峡間 完成 |
8年 9月 |
日満ケーブル施設工事(飯田~中津川)を施工 |
9年 9月 |
長野県土木建築請負業組合発足 |
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陽康飯田支部長に就任 |
14年 3月 |
万歳大橋完成 |
11年 4月 |
二代目天竜大橋(駒ヶ根)完成 |
12年 5月 |
木曽出張所開設 |
12年12月 |
飯田線 ― 辰野 ~ 豊橋間全通 |
13年 3月 |
天竜川河川復旧工事中に、大氾濫で再起不能と言われた痛手を負う |
13年12月 |
市瀬橋(大平街道)完成 |
16年12月 |
日本軍、ハワイ空襲 |
17年 9月 |
大平トンネル完成 |
19年12月 |
遠山森林鉄道完成 |
20年 1月 |
雨宮橋完成 |
20年 8月 |
太平洋戦争、終結 |
昭和21年~昭和40年
昭和22年 4月 |
飯田市大火 4,010戸焼失 |
22年 7月 |
川路製材所開設 |
24年 5月 |
木下建設株式会社に組織変更(資本金250万円)木造2階建て社屋改築 |
24年 8月 |
建設業法施行 |
24年 8月 |
長野建設業協会設立 |
24年 8月 |
川路製材工場を開設 |
24年11月 |
長野県知事登録(イ)第356号 |
25年 6月 |
木下陽康参議院選挙で惜敗 |
25年11月 |
南信で初のブルドーザ導入 |
26年11月 |
佐久出張所開設 |
27年12月 |
長野建築士会下伊那支部発足 |
28年 8月 |
建築業法および同施行例、施行規則改正 |
30年 5月 |
木下一人社長就任。信州開発(株)設立、社長木下陽康 |
30年 7月 |
飯田市立浜井場小学校円筒校舎竣工 |
31年 4月 |
日本道路公団発足 |
32年10月 |
豊丘中学校新築工事完成 |
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佐久間高校竣工。以後S37佐久間中学校、S40吉沢小学校、
S46浦川中学校と、静岡県下に於いて、業績を伸ばす |
34年 2月 |
名古屋営業所及び佐久間営業所開設 |
34年 4月 |
建設大臣登録(ホ)第3014号 |
34年 9月 |
伊勢湾台風襲来 |
35年 4月 |
東京営業所開設 |
36年 4月 |
佐久間営業所を廃止 |
36年 6月 |
梅雨前線集中豪雨36災発生。死者行方不明136名。災害救助法発動 |
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川路製材工場流出全壊 |
36年11月 |
災害復旧工事合同起工式 |
36年12月 |
下久堅砕石工場を開設 |
37年 3月 |
資本金800万円に増資 |
37年 5月 |
飯田建築協会発足、木下一人初代会長に就任 |
37年 5月 |
旭松、天竜工場新築工事竣工 |
37年 6月 |
飯田市庁舎竣工 |
37年 7月 |
資本金1000万円に増資 |
37年12月 |
駄科工場新設 |
38年 3月 |
36災復旧工事完了 |
38年 4月 |
飯田建設事業協同組合設立 |
38年 4月 |
松本営業所を開設 |
38年12月 |
資本金を3000万円に増資 |
40年10月 |
中央自動車道ルート決定 |
昭和41年~昭和63年
昭和41年 |
飯田商工会館竣工 |
41年 6月 |
木曽谷に集中豪雨。常設の出張所開設、復旧工事にあたる |
41年 9月 |
奈川村庁舎新築工事竣工 |
42年 6月 |
名古屋営業所及び東栄出張所を開設 |
43年 1月 |
建設業協会飯田支部長に木下一人就任 |
43年 1月 |
「西駒郷」を竣工、皇太子夫妻御視察 |
43年 5月 |
東京営業所を廃止 |
43年12月 |
佐久支店の営業権一切を木下建工(株)へ譲渡 |
44年 |
赤石林道開設 喬木上村間 |
45年 4月 |
竜東一貫水路長峰隧道工事竣工 |
46年 4月 |
木下一人県会議員初当選 |
46年 8月 |
木下陽正社長就任 |
47年 3月 |
犀川狐島築堤護岸工事竣工 |
47年10月 |
飯田綿半第2ビル(当時飯田随一の高層ビル)竣工 |
47年12月 |
愛知県東栄町立東栄病院竣工 |
48年 3月 |
国道151号線小松原隧道竣工 |
48年 3月 |
あららぎカントリークラブハウス竣工オープン。高松宮殿下御来訪 |
48年 7月 |
建設大臣認可(般、特―48)第1366号 |
48年 8月 |
建設資材急騰で公共事業ピンチ(第一次オイルショック) |
48年12月 |
県内建設業倒産134件 |
49年 4月 |
西友飯田店竣工 |
49年 4月 |
資本金を5000万円に増資 |
50年 8月 |
中央道駒ヶ根―中津川間開通 |
50年10月 |
飯田裁判所竣工 |
51年 4月 |
南原橋完成 |
52年 3月 |
国道153号線蘭トンネル工事竣工 |
53年 3月 |
大平ダム竣工 |
53年 |
国道153号線改良進む |
54年 8月 |
資本金7500万円に増資 |
55年 3月 |
鼎町文化センター竣工 |
56年 3月 |
中央自動車道県内全線開通 |
57年 4月 |
木曽合同庁舎建築工事完成 |
57年 4月 |
長谷川ダム竣工 |
57年 7月 |
国道151号線雲雀沢トンネル竣工 |
58年 6月 |
木曽東西統合高校竣工 |
58年 9月 |
台風10号伊那谷を襲う。下伊那郡下被害額440億円 |
59年 6月 |
砂古谷ダム竣工 |
59年12月 |
木曽出張所を基礎営業所に組織変更 |
60年 |
中央自動車道岡谷ジャンクション工事 |
61年 4月 |
長野県西部地震災害復旧工事 |
62年 9月 |
木曽蘇南高校第1期工事竣工。以降、第3期平成3年まで続く |
62年10月 |
飯田市制50周年記念式典 |
63年 1月 |
木下隆由社長に就任 |
63年12月 |
中央自動車道麻績川橋他下部工工事竣工 |
平成元年~平成20年
平成元年 1月 |
昭和天皇崩御。「平成」に改元 |
元年 1月 |
三遠南信自動車道矢筈トンネル起工式 |
2年 7月 |
長野自動車道犀川高架橋工事竣工 |
2年 9月 |
名古屋、松本両営業所を支店に組織変更 |
3年 3月 |
北又沢第2砂防ダム工事竣工 |
3年11月 |
中部電力北又沢発電所第4工区工事竣工 |
4年 2月 |
県立木曽総合病院竣工 |
4年 9月 |
飯田市立病院竣工 |
5年 |
バブル崩壊、不況長引く |
5年 3月 |
三遠南信自動車道程野改良その5工事竣工 |
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豊科IC(現・安曇野IC)更埴JCT間開通によって長野道前線開通
上信越道と接続 |
6年 3月 |
矢筈トンネル開通 |
7年 1月 |
阪神淡路大震災発生 |
9年10月 |
長野新幹線開業 |
9年10月 |
長野新幹線開業 |
10年 2月 |
長野オリンピック開催 |
10年代 |
名古屋支店マンション工事が全盛となる |
11年度 |
飯高道路着工 |
13年 2月 |
田中康夫長野県知事「脱ダム」宣言。
多くの好意的な反響を呼び、建設業冬の時代への扉を開けた |
13年 4月 |
第一次小泉内閣発足 |
15年度 |
三遠道路着工 |
16年 4月 |
木下隆由、長野県建設業協会飯田支部長に就任(24年迄) |
18年度 |
川路・龍江・竜丘地区天竜川治水対策事業 完成 |
20年 4月 |
三遠南信自動車道 山本IC-天竜峡IC間開通 |
平成21年~平成31年
平成21年 9月 |
政権交代により民主党鳩山内閣発足 |
23年 3月 |
東日本大震災発生 |
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中部横断道 佐久南IC-佐久小諸JCT間開通 |
23年 5月 |
リニア中央新幹線整備計画が決定 |
23年 8月 |
リニア中央新幹線長野県内ルートが発表される |
24年 2月 |
青崩峠工事用道路着工 |
24年 3月 |
飯田市立病院第3次整備事業着工 |
24年 4月 |
浜松いなさ北IC-浜松いなさJCT間開通 |
24年 5月 |
木下隆由、長野県建設業協会副会長就任 |
24年 5月 |
東京スカイツリー開業 |
24年12月 |
青崩峠道路本線着工 |
24年12月 |
自民党政権 安倍内閣発足 |
25年 2月 |
飯田商工会館新築工事着工 |
25年 5月 |
藁野トンネル竣工(国道418号 下伊那郡天龍村 十方峡バイパス) |
25年 6月 |
氏乗IC追加設置大臣許可 |
25年 7月 2日 |
木下建設創業100周年記念日
百年の時間に感謝して、
今一度創業の精神に立ち還るとき。 |
25年 9月 |
2020年オリンピック東京開催決定 |
25年11月 |
木下隆由 旭日双光章叙勲受賞 |
26年 1月 |
飯田商工会館新築工事竣工 |
26年 3月 |
飯田市立病院第3次整備事業建築工事竣工 |
27年 3月 |
飯田女子高等学校改築工事竣工 |
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平谷小学校校舎建設工事竣工 |
27年12月 |
飯田市庁舎現庁舎耐震改修建築工事竣工 |
29年 8月 |
飯田市立病院リニアック棟竣工 |
30年 3月 |
三遠南信自動車道 龍江IC-飯田上久堅喬木富田IC開通 |
30年12月 |
県道(松川インター大鹿線)西下トンネル2工区竣工 |
31年 2月 |
プレサンス橋本町一丁目(名古屋市)竣工 |
令和元年~
令和元年 5月 |
平成天皇退位して上皇に「令和」に改元 |
元年 8月 |
木下勝貴 社長に就任 |
元年11月 |
三遠南信自動車道 天龍峡大橋(天龍峡IC~龍江IC) 開通 |
2年 4月 |
国道151号線(下條村)粒良脇トンネル建設共同企業体 着工 |